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飯田哲也のセカンドキャリア〜子供達にはちゃんとした指導者の元で野球をやらせてあげたい〜

飯田哲也のセカンドキャリア

【セカンドキャリアインタビュー】
今回は、1990年代のヤクルトスワローズ黄金期を支えた元プロ野球選手、飯田哲也さんに”コロナ禍における現在の活動状況”や”セカンドキャリア”についてお話を伺いました。

–現在の活動状況をお聞かせください。

飯田さん:野球の解説をしたり、取材を受けたり、母校(拓大紅陵高校)へ指導しに行ってるという状況ですね。今の監督が投手出身なので、監督が投手、僕が野手をメインで見ています。

–最近、拓大紅陵高校はまた強くなってますよね。

飯田さん:そうですね。でも最近は良いところで負けてしまうので..なんとかもう一踏ん張りして、勝たせてあげたいですし、甲子園に出させてあげたいと思っています。学校の先生方やOBの方々からもとても期待して頂いているので、期待に応えられるようにと、頑張っているところです。

–拓大紅陵と言えば、応援もすごいですよね?

飯田さん:そうですね!あの迫力はすごいと思います。吹奏楽部の先生がすごく野球に熱心な方で、野球部の試合はもちろん、普段の練習にもよく見に来てくれています。そういう意味でも頑張らないといけないですね。

–話は変わりますが、現在のコロナ禍の過ごし方はどうされていますか?

飯田さん:いつもだったらヤクルト時代の仲間だったり、テレビ関係、ラジオ関係、高校の関係者の方々と打ち合わせも含めた食事会へ行ったりしてたのですが、今はそれが全くできない状況なので。外食外出はなるべく控えて、家にいる時間が本当に多いですね。なかなか退屈しちゃいます(笑)。さすがに早く収束して欲しいですよね。今までの生活がなるべく元に戻るように。

野球場に来るファンの人たちも、早く声を出して応援したいでしょうね。また、ヒット打ったり、ホームラン打ったらみんなでワーっと盛り上がれたら良いですよね。

–選手の「メンタルケア」という面でもコロナ禍のシーズンは重要になってくると思いますが、選手たちへの心のケアについて指導者はどうするべきだと思いますか?

飯田さん:重要だと思いますが、僕であれば、「プロフェッショナル意識を持って、自分の仕事に集中しなさい」しか言えないですかね。見てくれているファンはいるわけで、そこは変わらないですからね。

–飯田さんが、引退されてからセカンドキャリアで苦労されたことは何かありますか?

飯田さん:今まで野球しかやってこなかったので、どうしたら良いかわからないんですよ。人間関係の築き方も知らなければ、人脈もなかったので、次のアクションが難しかったですね。

ただ、止まっていても何も始まらないので、いろんな企業やテレビ局、ラジオ局に挨拶に行ったりもしましたね。「何かありましたら仕事お願いします!」って頭下げに行ったり。

本当はね、オンラインではなく、リアルの方が盛り上がりますし、そっちでやりたいですよね。

今日の参加者の方々は40代、50代が中心だったかもしれませんが、僕は小学生や中学生向けにも何かイベントを開催したいです。野球界を若い層からレベルアップさせて、盛り上げて行けたらと思っています。

–今後、チャレンジしていきたいことはありますか?

飯田さん:とにかく野球界を盛り上げたいですね。野球界は、小中学生を中心にレベルアップしないといけないと思いますし、同時に指導者のレベルアップも必要だと思います。その方面で僕は野球界の力になって、発展に協力できたら良いなと思っています。今後、野球人口であったり、野球チームが減るのはある程度仕方ないにしても、子供達にはちゃんとした指導者の元で野球をやらせてあげたいですよね。

 

飯田 哲也 (いいだ・てつや)
1968年、東京生まれ。拓殖大学紅陵高等学校に入学し、3年時には春夏連続して甲子園に出場を果たす。1986年、ヤクルトスワローズにドラフト4位で入団。元々キャッチャーだったが、野村克也監督の勧めでセカンド、センターへとポジションを変更。「天職」と呼ばれるほどの巧みな外野守備を見せた。1992年からは7年連続でゴールデングラブ賞を受賞。また、打撃でも1番打者として活躍し、チームのリーグ優勝に貢献した。その後、新規参入した楽天イーグルスに移籍。若い選手達に自身の経験を伝える役割を担う。この時の経験が評価され、現役引退後はヤクルトの一軍コーチとして若い選手の育成に務めた。現在は、野球解説者をはじめメディア出演や講演など多方面で活躍。

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